2025年7月18日、劇場版『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』がついに公開され、悩んだけどわたしも初日に映画館へ。悩んだ理由は主に2つ…
- まさかの旅行中(笑
- っていうかわたしの推し寝てるだけ…(※戦ってる)
でも作品ファンですから、変にネタバレポストとか踏むぐらいなら、初日の朝行っちゃえーってことで行ってまいりました。(ちなみに2推しは蜜璃ちゃんw)
そこで備忘録も含み、推しが(ほぼ)不在のヲタク目線で無限城編第一章の感想をぶちまけます。
この先、鑑賞後のネタバレも含む感想となりますので、鑑賞前にネタバレ踏みたくない方はブラウザバック!映画を見られましたら、大いに語り合いましょう…(ぜひ映画の感動をコメントに!)
目次
原作との違いは?アニメオリジナル描写はどこ?
劇場版『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』では、原作漫画にはなかったアニメオリジナルの演出やシーンが多数追加され、物語にさらなる深みと迫力を加えていました。
全部を覚えているわけではないけれど、印象的だったシーンをピックアップ!
映画版で追加された印象的なアニメオリジナルシーンとは?
無限城のグラフィックとスケール感
原作漫画では細部まで描かれきれていなかった背景が、映画では圧倒的な奥行きと広がりを持って表現されています。大スクリーンに映し出されても、一つ一つの階層や部屋、そしてそこにいる鬼までが緻密に描かれており、観客はまるで底なしの空間に呼び込まれたかのような、原作以上の最終決戦の緊張感を体感できます。
隊士・村田の“水の呼吸”
原作では詳細に描写されなかった村田の水の呼吸の型が、アニメーションでしっかりと披露される場面は、炭治郎たちの戦いを支える“縁の下の力持ち”である村田が、自らの技を駆使して戦いに加わる姿を描き、これまでスポットの当たりにくかった彼の剣士としての魅力を掘り下げる印象的な演出となっています。
狛治がお手玉をするシーン
恋雪の看病中、狛治がお手玉で遊ぶ様子が丁寧に描かれ、最初はぎこちなく1つだけのお手玉から始まり、やがて2つ、そして3つと次第に上達していく様子は、狛治が恋雪とともに過ごした静かで穏やかな日々の時間の流れを象徴しているようでした。
猗窩座戦後の無惨のセリフ
猗窩座消滅後、鬼舞辻無惨が「猗窩座を倒していい気になるな。私を倒さねば意味はない」と語るセリフも追加され、彼の圧倒的な存在感と冷徹さを際立たせる象徴的な一言として、物語全体のスケール感をさらに押し広げています。
輝利哉様と隠たちの奮闘
原作では無限城内の戦いにスポットが多く当たっていましたが、映画では産屋敷輝利哉が鬼殺隊の指揮を執る様子や、くいな、かなたと隠(かくし)の隊士たちが無限城で活動する描写も肉付けされ、最終決戦の裏側がより詳細に描かれました。
キャラクターの感情や背景がより深く描かれた演出面の違い
映画版では、キャラクターの感情や背景がより深く描かれる演出が際立っているように感じました。
特に印象的だったのは、我妻善逸の戦闘シーンです。原作ではテンポよく描かれていた善逸の戦闘シーンですが、映画では技やセリフの間が描かれ、善逸の心情の描写から雷の呼吸・漆ノ型 火雷神を繰り出すまでの移り変わりがしっかりと描かれており、より一層切なさが増しました。
胡蝶しのぶの戦いは原作よりもかなり劇的に描き直され、「蟲の呼吸 蜈蚣ノ舞 百足蛇腹」は柱としてのしのぶの強さを改めて示す脅威の技として描かれました。満身創痍となりながらも立ち上がったしのぶに童磨が聞いた「君ホントに人間なの?」という問いが、より意味を持つようになっています。また、しのぶが「怒っている」と語るシーンで思い浮かべた人々が女性ばかりだったことは、この世の中で理不尽な目に遭っている女性達のために怒っているようでもあり、良いシーンでした。
冨岡義勇が痣(あざ)を発現してからの戦いぶりは、一人でも猗窩座と互角と言って差し支えないほどの強さを見せつけました。竈門炭治郎が「透き通る世界」へと糸口を掴み覚醒する描写も、原作では比較的さらっとした描写でしたが、本作ではそこも肉付けされ、より深く描かれています。これらのアニメオリジナル描写や演出面の強化は、物語の感情的な深みを増し、キャラクターたちの内面をより鮮明に描き出されています!
劇場版「無限城編 第一章 猗窩座再来」の映像美と演出の進化とは?
ufotableが手掛ける『鬼滅の刃』のアニメーションは、常に最高峰のクオリティを誇りますが、劇場版「無限城編 第一章 猗窩座再来」では、その映像美と演出がさらなる進化を遂げ、観客を圧倒しました。
ufotableが描く無限城の圧倒的なスケール感と映像表現
ufotableが描く無限城は、まさに圧巻。無限城のスケール感やその異様な構造美は、アニメならではの緻密な映像表現によって、原作以上に強く観客の五感に訴えかけてきます。無限に広がるかのような空間構造、視界が歪むような床や壁の配置、重力の概念すら曖昧になるような異次元的な奥行きの演出など、原作では表現しきれなかった“美”が、圧倒的な立体感をもって迫ってきました。
特に、目を見張ったのは描写の緻密さ。大スクリーンに映し出されても、一つ一つの階層や部屋、そしてそこにいる鬼までがしっかりと描かれていることに驚かされました。こんなにも果ての見えない、底なしの場所に呼び込まれたら、と原作以上に最終決戦の緊張感を感じ、観客はまるで無限城の中にいるかのような感覚を味わうことができます。
階層ごとの構造の違いや、カメラワークによって、無限城という異空間の底知れぬ広さと不気味さがリアルに体感できる映像体験となっています。一度…3DとかVRで見てみたいな…
戦闘シーンの細部に宿るアニメーションのこだわりと迫力
各戦闘シーン(胡蝶しのぶvs童磨、我妻善逸vs獪岳、竈門炭治郎&冨岡義勇vs猗窩座)では、アニメーションのこだわりと迫力が随所に宿っています。映画だけの話ではなく、またいずれかの戦いに限らず、静止画でコマにまとめられている描写を時間の経過を持たせ、キャラクターの動き、剣や技のモーションにいたるまで描かれているのが本当に素晴らしいと感じました。
原作では描ききれなかった技の動きやエフェクト、精神的な駆け引きが精微に描写されており、戦闘における緊張感やキャラクターの呼吸までが感じられるほどの臨場感が再現されています。特に、剣撃の軌道や爆発的な衝突の瞬間には細やかな作画と演出が施されており、視覚的な迫力と共に音響の効果も加わることで、観る者を物語の中心へと引き込んでいきます。
映画「無限城編 第一章 猗窩座再来」の見どころは?【感想とレビュー】
改めて独断と偏見による映画の感想を・・・
声優陣の魂を揺さぶる演技が物語にもたらすもの
この映画において、声優陣の魂を揺さぶる演技は、物語に計り知れない深みをもたらしました。特に印象的だったのは、下野紘さんが演じる我妻善逸です。「汚い高音」がオーディション合格の理由と自他共に話しており、実際にそんな役どころだった善逸が、獪岳への怒り、悲しみ、闘気みなぎる叫びをあげる姿、そして兄弟子に対する切なさを含んだ心情のナレーション、さらに一気にいつもの善逸に戻るじいちゃんとの別れのシーンまで、短い時間ながらも善逸のやりきれなさや怒り、悲しみなどがぎゅっと詰まって伝わってきました。
善逸が最初からこういうキャラだったら…善逸最推しだったかもしれない…と思う、下野紘のヲタク(笑)
また、宮野真守さんが演じる童磨も、その演技が光っていました。イケメンキャラだったり知的キャラだったり、実力派の声優さんであることはわかっていたはずなのに、最高に童磨がうざかった(褒め言葉)。えげつない、自分勝手な持論を振りかざしているのに、「この鬼(童磨)本気でこう思っているんだろうな」と感じさせるのが本当にすごいと感じました。
他にも、胡蝶しのぶ役の早見沙織さんの柔らかな声の奥に宿る静かな怒りと深い悲しみ、猗窩座役の石田彰さんの慟哭、叫び、哀しみ、そして鱗滝左近次役の大塚芳忠さんの重厚な存在感など、声優陣一人ひとりの演技が、キャラクターの命を輝かせ、観客の心を深く揺さぶりました。
(寺島拓篤さん・西山宏太朗さん・大塚剛央さんなどなどがモブっていうことも含めて、鬼滅の声優選定本当すごすぎる…お堂の鬼、緑川さんだったよね…)
アクションとドラマが交互に描かれる構成の魅力
映画全体のアクションとドラマのバランスは、この作品の大きな魅力の一つです。アクションパートと鬼の回想パートが交互に描かれるような構成になっており、ワクワクするアクションと泣かせるドラマが交互にやってくる約2時間半は、観客を飽きさせません。
特に印象に残ったのは、冨岡義勇と猗窩座の高速な技の応酬が光と剣の軌道などで描かれているところに、竈門炭治郎の思考を反映したドラマ部分が差し込まれているところです。目まぐるしい戦闘の中に、キャラクターの内面や過去、そして成長が織り込まれることで、単なるバトルシーンに終わらず、感情移入を深めることができます。この構成は、観客に一時的な興奮だけでなく、深い感動と余韻をもたらしました。
なぜ「期待を遥かに超えた」と評されるのか?
この映画が「期待を遥かに超えた」と評される理由は多岐にわたると思います。まず、原作そのものが人気であったものの、多くの隊士が同時に戦うこともあり、一つ一つの戦いの厚みには少し欠けるかも、と個人的には思っていました。しかし、劇場版ではそれぞれの戦いを丁寧に描き切ってくれたことに感動しました。
原作では1コマに描かれる多めのセリフも、声優さんが声をあて、その間動き続けるアニメーションがあることでぐっとリアリティが増したように感じます。そして、違和感なくつなぎ、差し込まれるアニメオリジナルの演出や、柱・主要キャラクター以外の隊士たちの奮闘が、アニメ「柱稽古編」での彼らと主要キャラクターたちとの交流を通じてさらに心に響きました。
ufotableによる想像以上の作画と演出、無限城の圧倒的な映像表現、そして声優陣の魂を揺さぶる演技が一体となり、観る者の五感を刺激し、作品への没入感を極限まで高めました。これらの要素が相まって、多くの観客が「これは、まさに命と命のぶつかり合いだ」と感じ、期待を遥かに超える感動を味わったのです。
まとめ:劇場版「鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来」で描かれた魂の戦い
劇場版『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』は、まさに「魂の戦い」が描かれた傑作です。胡蝶しのぶの自己犠牲、我妻善逸の覚醒、そして猗窩座の悲しい過去と自滅という、それぞれの戦いの結末は、観る者の心を深く揺さぶりました。
ufotableによる圧巻のアニメーション、無限城の異空間演出、そして声優陣の魂のこもった演技は、物語の感動を最高潮に引き上げました。原作にないアニメオリジナルシーンも、キャラクターの感情や背景をより深く掘り下げ、作品の世界観を一層豊かにしました。
無限列車編が大いに成功し、アニメでの遊郭編・刀鍛冶の里編・柱稽古編を経て、「鬼滅のアニメってこういう感じ」と思っていたものを、本作は大きく超えてきました。アニメでも最近のほかの作品に比べて作画きれいだと思っていたけど、ufotableがufotableを超えてくる感じ。
これは単なる戦闘アニメーションに留まらず、キャラクターの信念や過去、想いが交錯しながら進んでいく壮大なドラマであり、観る者に普遍的な問いを投げかけます。きっと第二章への期待はこれからどんどん上がっていき、プレッシャーにもなると思いますが、それでも期待せずにはいられません。
劇場版『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』は、シリーズ最高傑作と呼ぶにふさわしい「魂の到達点」であり、今後の「無限城編 第二章」「第三章」への期待を最高潮に高める作品となりました。この感動は、まだ続いていくことでしょう。
禰豆子の目覚めは…第三章だよね…次回も心穏やかに(?)見れるでしょう(笑
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