陸上競技、特に男子110mハードル界で今、最も熱い視線を浴びている選手といえば、村竹ラシッド選手ではないでしょうか。
パリオリンピックでの日本人初の決勝進出、そして悲願の「12秒台」突入による日本新記録樹立。(出典:【日本記録】日本陸上競技連盟公式サイト)
彗星のごとく現れたスターのように見えますが、その経歴を紐解くと、才能だけでなくユニークな感性と着実な努力の積み重ねが見えてきます。
「ジョジョ立ち」などのパフォーマンスでも話題を集める彼ですが、一体どのようなバックグラウンドを持っているのでしょうか。この記事では、村竹ラシッド選手の経歴やご両親などのルーツ、そして世界と戦える強さの秘密について詳しく解説します。
目次
村竹ラシッドのプロフィール|身長・年齢・所属
まずは、村竹ラシッド選手の基本的なプロフィールから見ていきましょう。恵まれた体格と若き才能は、これからの日本陸上界を背負って立つ存在であることを示しています。
| 項目 | 内容 |
| 氏名 | 村竹 ラシッド(むらたけ らしっど) |
| 生年月日 | 2002年2月6日(23歳 ※2025年時点) |
| 出身地 | 千葉県松戸市 |
| 身長 / 体重 | 179cm / 76kg |
| 専門種目 | 110mハードル |
| 所属 | JAL(日本航空株式会社) |
| 出身大学 | 順天堂大学 スポーツ健康科学部 |
| 自己ベスト | 12秒92(日本記録) |
(出典:アスリート社員|JAL企業サイト)
所属は日本航空(JAL)で、アスリート社員として活動しています。趣味はドライブやゲーム、マンガを読むことなどを挙げており、競技を離れれば等身大の20代らしい一面も持っています。
特に、人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』のポーズを入場時に披露するなど、観客を楽しませるサービス精神も彼の大きな魅力の一つです。
経歴の原点:トーゴ人の父と日本人の母が生んだ才能
村竹ラシッド選手の卓越した身体能力のルーツは、そのご家族にあります。
父親は西アフリカのトーゴ共和国出身で、かつては走り幅跳びなどの跳躍種目を専門とする陸上選手でした。母親は日本人で、村竹選手自身は日本(千葉県松戸市)で生まれ育ちました。
トーゴといえば、身体能力の高いアスリートを多く輩出している地域です。お父様譲りの長い手足と、バネのような筋肉の質は、ハードルという種目において天性の武器となっています。一方で、村竹選手は日本で育ったため、文化的には完全に日本に根ざしており、インタビューなどでの受け答えからも、真面目で謙虚な性格が伝わってきます。
「父親からは身体能力を、母親からは勤勉さを受け継いだ」と評されることも多く、まさに二つのルーツが良い形で融合したハイブリッドなアスリートと言えるでしょう。
中学・高校時代:きっかけは「競技人口が少ないから」?
村竹選手が陸上競技を本格的に始めたのは、小学校5年生のときでした。担任の先生に足の速さを見込まれて勧められたのがきっかけですが、当初はそこまで乗り気ではなかったそうです。
そして、運命の種目「ハードル」と出会ったのは、松戸市立第一中学校に入学してからです。この種目を選んだ理由が非常にユニークで、彼は過去のインタビューで「100m走などは競技人口が多いけれど、ハードルなら人が少なくて勝てるチャンスがあると思った」といった趣旨の発言をしています。
さらに、「ハードルを跳んでいる空中の一瞬は休める(サボれる)」という独特な感性も持っていました。もちろん、実際には空中で休んでいる暇などない過酷な競技ですが、この「力を抜くところは抜く」という脱力への意識が、スムーズなハードリング技術の基礎になったとも考えられます。
その才能はすぐに開花しました。進学した千葉県立松戸国際高校では、3年時のインターハイで優勝。13秒91という高校歴代3位タイ(当時)の好記録を叩き出し、一躍全国区の選手として知られるようになりました。
大学時代から社会人へ:怪我を乗り越え世界の舞台へ
高校卒業後は、陸上の名門・順天堂大学スポーツ健康科学部に進学します。順天堂大学では、同じくトップハードラーとして活躍する泉谷駿介選手(現・住友電工)らと共に練習を重ね、切磋琢磨する環境に身を置きました。
大学時代は順風満帆なだけではありませんでした。ハムストリングスの肉離れなど、度重なる怪我に苦しめられた時期もあります。しかし、そうした困難な時期に自分の走りを見つめ直し、フィジカルの強化と技術の修正に取り組んだことが、後の飛躍につながりました。
大学4年時には日本インカレで優勝し、学生記録に迫るタイムをマーク。そして大学卒業後、JALに入社してからは、プロのアスリートとして環境がさらに整い、記録を一気に伸ばしていきます。
2024年のパリオリンピックでは、強豪ひしめく中で決勝に進出し、5位入賞という快挙を成し遂げました。そして2025年、ついに福井で開催された大会で「12秒92」という日本新記録を樹立。長年、日本人の壁と言われてきた13秒の壁を破り、12秒台の世界へと足を踏み入れました。
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村竹ラシッドの強さと今後の可能性
村竹ラシッド選手の強さは、単なるスピードだけではありません。彼の走りを支えているのは、以下のような要素です。
- 世界レベルのスタートダッシュ:
号砲への反応速度と、一台目のハードルまでの加速力が非常に優れています。
- 無駄のないハードリング:
「空中で休む」という感覚に近いのかもしれませんが、ハードルを越える際の動作に力みがなく、着地後のロスが極めて少ないのが特徴です。
- メンタルの安定感:
大舞台でも物怖じせず、自分のパフォーマンスを発揮できる精神的なタフさを持っています。
12秒92という記録は、世界大会でもメダル争いに絡める水準です。パリ五輪での経験、そして日本記録保持者としての自信を手にした彼は、2025年の東京世界陸上、そしてその先のロサンゼルス五輪に向けて、さらなる進化を続けています。
まとめ:日本陸上界の歴史を変える走りを見逃すな
村竹ラシッド選手の経歴を振り返ると、トーゴと日本という二つのルーツを持ち、独自の感性でハードルという競技に向き合ってきた姿が浮かび上がります。
松戸市の中学校で「なんとなく」始めた少年が、いつしか日の丸を背負い、世界の強豪と肩を並べて戦う選手へと成長しました。彼の走りは、単に速いだけでなく、見る人にワクワクするような期待感を与えてくれます。
まだ20代前半と若く、これからの伸びしろも計り知れません。「12秒台」という領域に達した村竹選手が、これからどんな景色を私たちに見せてくれるのか。今後の活躍から目が離せません。














